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植松芸能事務所に所属した中野ブラザーズだったが、米軍キャンプでの出演は女性ダンサーが主流であり、なかなか仕事が入らずに悶々としていた。
事務所の米軍キャンプの仕事で一番売れていたのが、小林シスターズというコミックタップだった。
忘れもしない1953年9月26日、品川の米軍クラブ「バタフライ」での仕事が舞い込む。ただし、踊ってもお客様に受けなければギャラはなし、という条件だった。
それでも二人は東京での初仕事に飛び上がるほど喜んだ。
勢い勇んで「バタフライ」の楽屋に入って簡単なリハーサルを行っていると、どうも周りに不穏な空気が立ち込めていることに気づいた。植松社長と米軍の将校がもめている。もめているというよりも、植松社長が一方的に責め立てられているように見えた。
楽屋に戻って社長に聞くと、その日は小林シスターズの出演日だったというではないか。将校はリハーサルをしていた中野ブラザーズを見て社長にクレームを言っていたのだ。
社長はそこで、シスターズとブラザーズを間違えたと言って平謝り。ところが本番までもうあとわずか。やむなく将校は中野ブラザーズを舞台に上げることにした。
緊張感漂うステージで、二人は「12番街のラグ」(12th Street Rag)を踊った。
客席を見ると、米軍たちが怖い顔で男二人のダンサーをにらんでいた。それでも東京で初めてのダンスなので、張り切ってニコニコと楽しく精一杯踊った。
ダンスが終わってお辞儀をしてステージを引き上げると、客席から大きな拍手が鳴りやまない。二人は顔を見合わせて自分たちの耳を疑った。
アンコール!アンコール!
ものすごい大きな歓声で再びステージに呼び戻されると、いままで受けたことのない万雷の拍手と指笛が客席を包んでいた。
二人はもう一度顔を見合わせ、喜びと感動で胸がいっぱいになった。
客席に再びお辞儀をする。
これで東京で仕事ができる、東京で生活ができる、という安堵と興奮を、鈍く光ったステージの床を見ながらかみしめた。
その夜、二人はステージでの出来事を思い出して、興奮でなかなか寝付けなかった。
中野ブラザーズを売り出すために、シスターズとブラザーズをわざと間違えて出演させた植松社長の策略が、見事に奏功したのである。
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